ケータイ辞書JLogosロゴ 上賀茂村(近世)


岡山県>加茂川町

 江戸期〜明治22年の村名。備前国津高郡のうち。上加茂村とも書く。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに320石余,「天保郷帳」483石余,「旧高旧領」469石余。なお「備陽記」では,古くは賀茂上村というと見え,反別33町3反余,家数93・人数590。天水場で,村内には池2か所が作られ,また旱魃に備えて育麦蔵も置かれていた(吉備温故秘録)。万治2年岡山藩は,旧虎倉城主伊賀氏の遺臣を中心とする土豪百姓弾圧を目的に,加茂郷内の農民に由緒書などの写しの提出を命じた。このとき提出した13氏のうちに当村の葛原・片山両氏がおり,弾圧後も裃の着用など特権的身分を維持した。また寛文6年藩主池田光政の寺院淘汰により,真言宗真光山観音寺が廃寺となった。このとき大谷村枝村元兼の真言宗牛頭山宗林寺も廃寺となったが,檀徒の強い信仰心により,地方役人黙認の形で当村に出張休憩所の小堂がつくられた。享保8年小堂も処分を命じられたため,藩へ嘆願書を提出,宝暦2年牛頭山宗林寺が復興した(撮要録)。元治元年寺子屋弘起堂が開かれたが,寺子数は男21・女8。このほか慶応年間にも2校が開校した(県教育史)。寺子屋の教科書として作られた加茂郷往来に,産物として「猪胆滑革」が見える。明治4年岡山県に所属。同6年淵本の民家を使用して,91番小学加茂小学を創設。生徒数は男50・女15(県教育史)。同8年校舎を下加茂村に移転。同21年仮屋前に新校舎を落成し,同村へ再移転してきた。同16年戸長役場を設置。同22年加茂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415720
最終更新日:2009-03-01




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