ケータイ辞書JLogosロゴ 鴨方村(近世)


岡山県>鴨方町

 江戸期〜明治22年の村名。備中国浅口郡のうち。毛利氏の支配を経て,慶長5年幕府領,寛永9年岡山藩領,寛文12年からは鴨方藩領。もとは河村の一部か。村高は,正保国絵図907石余,元禄年間の検地(浅口郡誌),「備中至宝記」「備中村鑑」ともに1,205石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,206石余。慶長11年3月18日の小堀一政奉書(長川寺文書/県古文書集4)によると,小堀一政による当村長川寺への寄進田15石を,「木之子之内を以被遣」とある。鴨方藩主池田氏の本邸は岡山の天神山にあり,当地には陣屋が置かれた。元禄14年の田畑51町9反余,家数156。文政11年の家数178・人数1,232(男629・女603)。鴨方藩は岡山藩の支藩であったため本藩との間を結ぶ鴨方往来と呼ばれる街道が設けられ,岡山城下の栄町を出発点として庭瀬・倉敷・西阿知・船尾・下竹を経て当地に入った。寛文年間岡山藩主池田光政が神社の整理を行い,当村103社・深田128社・小坂西105社・小坂東105社・本庄103社などの叢祠を廃祠,地頭上村の日吉宮へ寄宮,さらに安永2年鴨神社境内に寄宮して知利積神社を創立した。氏子は同社を仁王院様と呼ぶ。この鴨神社の随神門の下に架けた石橋は宮の石橋といわれる。私塾として重要な役割を果たした欽塾は安永2年西山拙斎の開いた学塾で,欽塾跡の碑が鴨神社の鳥居の西側に建てられている。拙斎と親しい画家田中索我は,明和7年仙洞御所の曲屏風2双・杉戸2枚を描き,寛政元年には法橋位に叙せられた。墓は鴨神社の東にある。鴨方県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属。同16年第16部戸長役場が置かれた。明治7年の啓蒙所は同8年観生小学,同19年尋常観生小学校となる。明治8年鴨方郵便局開局,同18年から貯金業務開始。明治9年の戸数329・人口1,310(男682・女628)。同22年鴨方村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415879
最終更新日:2009-03-01




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