ケータイ辞書JLogosロゴ 神崎村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。邑久郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」258石余,「天保郷帳」1,112石余,「旧高旧領」1,113石余。また「備陽記」によると,高258石余,反別83町7反余,家数191・人数1,210,池3,船16。元和元年の神崎村定米上免之事に塩浜1町4反余とあり,製塩も行われていた。寛永年間に中央部の神崎丘陵を掘削(神崎掘抜き)して千町川を南部に導水,水門を建設し,乙子水門とともに千町川の悪水抜きに利用した。用水は吉井川から取水した大用水の分水を利用し,貞享〜宝永年間にかけて神崎掘抜きの東側にも用水を掘り,南流させた。道は牛窓往来が通る。天保年間御用習字場,嘉永年間寺子屋岳南堂・栢園,慶応元年漢学の興志館が開設。神社は神前大明神(備陽国誌)。寺院は天台宗祈祷山成願寺。承和年間頃慈覚大師の創建と伝え,元禄2年奥の谷に再興された。ほかに,寛文年間の寺院淘汰政策で廃寺となった天台宗西之坊・薬師院・不動院があった(撮要録)。明治4年岡山県に所属。同22年太伯村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416016
最終更新日:2009-03-01




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