ケータイ辞書JLogosロゴ 北浦村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国児島郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに202石余,「天保郷帳」256石余,「旧高旧領」253石余。「備陽記」によれば,岡山京橋まで陸路10里,同じく船路2里12町,反別18町余,家数198・人数1,227,2端帆から17端帆までの船188。児島湾の特異な漁法樫木網漁が伝わる。当村の漁業権は,秀吉の朝鮮出兵に際し,直島水道で北浦漁師が水・肴を献上して「百里四方流釣」を免許されたという(北浦箱崎八幡宮文書/岡山市史)。湾内漁業権は湾内各村間で争論が繰り返されている。元禄年間の沖新田開発の際,干拓予定地内に漁場のあった当村は,網場移転を申請している(撮要録)。またのちの興除新田となる備中地先の干拓計画にからむ,宝暦・文化年間の争論は沿岸漁村をほとんど巻き込む形となっている。当村は享保年間に24本の樫木定置を許可されており,漁獲高の多い樫木漁において特権的な位置を占めていた。経営面については,阿津と異なり,酒屋・醤油業者の資本が介在している。この樫木網漁業の権利は,明治後期まで存続した。神社は箱崎八幡宮で,祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后,嘉応元年高倉天皇厳島行幸途次の航海安全勅願になると伝え,筑前箱崎宮より勧請したものという。秀吉より与えられた漁業権認可状(三宅高安書状)が伝わっていた。また当地出身の学者山田剛斉による喜多浦八幡宮祭儀1巻がある。ほかに八幡山にも八幡宮があったが,現在は箱崎八幡宮に合祀されている。寺院は真言宗慈眼山本覚寺善門院で,本尊は如意輪観音像。天保10年創始の児島霊場八十八か所には大悲院がある。藩内に設置された手習所のうち児島郡では当地のものが最初であった。明治4年岡山県に所属。同6年小学校を設立,同13年北辰小学と称し,同20年郡村の甲北小学,飽浦村の桜樹小学と統合して尋常北辰小学校となる。明治12年の家数240・人数1,039。同22年甲浦村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416051
最終更新日:2009-03-01




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