ケータイ辞書JLogosロゴ 北方村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国御野郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」1,590石余,「天保郷帳」1,908石余,「旧高旧領」1,907石余。また「備陽記」によれば,高1,590石余,反別54町7反余,家数98・人数516,枝村に中井・四日市があり,中井が反別30町9反余,家数37・人数216,四日市が反別11町8反余,家数25・人数146。神社は天計神社と御崎宮。天計神社はもと北西の幸田畑にあり,慶長6,7年頃に小早川秀秋が神宮寺山古墳上へ移した(岡山市史)。御崎宮は四日市に鎮座し,出雲日御崎神社分霊を勧請と伝える。寺院には天計社神宮寺の日蓮宗妙法山神宮寺や今蔵坊・円住坊・法珠院があったが,いずれも寛文年間の寺院淘汰策で廃寺となった(撮要録)。物産は,「備陽国誌」に四日市で杉原紙類を作るとあり,藩の御用紙もすいた。また四日市には西川用水の取水口も設けられていた。明治4年岡山県に所属。慶応2年から寺子屋が開設されていたが,明治5年の学制施行に伴い廃止され,代わって166番小学が設置された。同22年御野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416056
最終更新日:2009-03-01




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