ケータイ辞書JLogosロゴ 国富村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国上道郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」746石余,「天保郷帳」862石余,「旧高旧領」859石余。また「備陽記」によれば,高746石余,反別16町余,家数51・人数285,枝村に森下・新畠があり,うち森下の反別26町余,家数43・人数258。村の東から南にかけて岡山城下と接する。この辺りの城下町は付け替えられた山陽道沿いが町場化したもので,「備陽記」に枝村森下は町続きと付記されるように,森下の一部に形成された町場は城下へ編入されて森下町となった。寺院に臨済宗国富山少林寺がある。もと播磨国赤穂にあり,盛願寺と称した池田輝興菩提所で,輝興の岡山藩お預けに伴って岡山城下へ移転,のち当村へ再移転した。明治4年岡山県に所属。同8年瓶井門前【みかいもんぜん】村を合併。同22年一部を岡山市へ編入,残余は三櫂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416221
最終更新日:2009-03-01




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