ケータイ辞書JLogosロゴ 桑上村(近世)


岡山県>久米町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国久米北条郡のうち。延宝2年桑村が桑下村と当村に分村して成立。津山藩領を経て,元禄11年幕府領,元禄14年甲斐甲府藩領,宝永6年幕府領,延享4年相模小田原藩領,文化10年幕府領(文政8年播磨竜野藩預り地),明治元年からは鶴田【たずた】藩領。村高は,「作陽誌」では桑村717石余のうち,「美作鬢鏡」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに359石余。「天保郷帳」には古くは桑村と注記がある。「作陽誌」によると,桑村の条に上村として記され,家数24・人数157。倭文神行という祭礼がある。これは倭文荘内各社の神輿が毎年9月13日地内の幣山(現在の供日場高下【くんちばこうげ】)に集まって古式に従って祭典を執行したもので,桑村祭として有名であったが,明治期以後廃れた。貴布禰神社の名称は明治6年以後のもので,古くは倭文郷総社,大宮貴布禰大明神とも唱えられ,狼様と呼ばれる。12月13〜15日の例祭には参詣者が多い。鶴田県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。明治8年取壊中の津山城の古材を使って秀実小学創立,同20年尋常秀実小学校となった。同22年倭文東村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416361
最終更新日:2009-03-01




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