ケータイ辞書JLogosロゴ 幸島村(近代)


岡山県>岡山市

 明治22年〜昭和28年の邑久郡の自治体名。東幸崎・西幸崎・南幸田・北幸田・東幸西・西幸西の6か村が合併して成立。旧村名を継承した6大字を編成。村名は近世以来の幸島新田にちなむ。明治24年の戸数613,人口は男1,531・女1,362,学校2・船303。米麦生産を中心とする農業地帯で,一部に酒造・製材・製粉や漁業も行われた。役場を南幸田に設置。明治22年西幸西の進化小学校と西幸崎の有隣小学校とが合併して尋常幸島小学校成立,同40年に南幸田に移転。大正8年山南実務学校を併設。そのほか明治31年窪田伊勢創始の私立神島裁縫校,大正15年幸島幼稚園,昭和22年山南中学校,翌23年幸島女子専修学院が設置された。大正13年水門郵便局設置。昭和16年帝国人造肥料(帝国化工)が外波崎に設立された。吉井川・千町川下流の低地に位置するため,明治25年・同26年と昭和9年・同20年には水害を被り,明治26年には浸水家屋598・全壊23に及んだ。昭和21年の南海大地震では全壊家屋16戸・半壊家屋多数・死者5人の被害を出した。主な道路は中央部を千町川東堤防から水門湾岸にかけて県道鹿忍片岡神崎線が,東部を片岡往還(現県道東片岡宿毛線)がそれぞれ南北に走るほか,幸西地内に一番道・二番道・三番道,幸田・幸崎両地内に築渡往還・西大寺往還・阿仁神社往還・玉道道(いずれも現市道)がある。大正元年の戸数589・人口3,002。世帯数・人口は,大正9年636・2,863,昭和25年746・3,499。同28年西大寺市の一部となり,村制時の6大字は同市の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416397
最終更新日:2009-03-01




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