ケータイ辞書JLogosロゴ 神根本村(近世)


岡山県>吉永町

 江戸期〜明治22年の村名。備前国和気郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。慶長5年霜月11日の小早川秀秋知行宛行目録(県立博物館所蔵文書)に「一,千百九拾石〈備前和気郡〉神根村」と見え,木下俊定に宛行われている。この神根村とは,「備陽国誌」などに見える旧神根保の一帯を指すかと思われ,神根本村がその中心にあたる。神根本村の村高は,「領分郷村高辻帳」248石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに348石余。なお「備陽記」では,高248石余,反別23町余,家数69・人数375。また化政期の和気郡手鑑(和気郡史)では,高248石余・又高100石余,田12町4反余・畑10町7反余,家数98・人数362,育麦蔵1。特産には松脂ろうそく・漆があり,養蚕が行われる。神社は神根神社。和気郡手鑑によれば,畑高2石余,社家2軒,その人数5とある。なお寛文6年の寺院淘汰により,長福寺宝積院・遍照院,善正寺が廃絶している。学校は,寛文6年手習所が置かれ,その生徒数10人であったが,6年後に廃された。幕末に入ると,嘉永年間に寺子屋が開かれ,その寺子数男20・女10を数えた。明治4年岡山県に所属。同5年の学制施行により,民家に開設された102番小学は,同7年門出村の103番小学と山津田村の104番小学とを合併して神根小学となり,門出村に支校を置いた。同21年支校を接収して,尋常神根小学校となる。明治18年の村内宅地所有者98人・同田畑所有者80人,反別は宅地4町余・田31町余・畑6町余。同22年神根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416446
最終更新日:2009-03-01




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