ケータイ辞書JLogosロゴ 西隆寺村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。上道郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。なお慶長6年霜月朔日の小早川秀秋知行方目録(記録御用所本古文書)によれば,林藤左衛門へ与えられた3,530石のなかに「一,六百弐石五斗弐升 上東郡西隆寺村」が見える。村高は,「領分郷村高辻帳」905石余,「天保郷帳」1,028石余,「旧高旧領」1,029石余。また「備陽記」では,高905石余,反別55町6反余,家数93・人数481,枝村に樋ノ口がある。用水は吉井川から取水した樋の口用水を利用。神社は諏訪八幡宮。寺院には,天平勝宝年間の創立と伝える真言宗菩提山鶯梅院と円成院がある。幕末に鶯梅院住職を勤めた永野真専は,のち高野山に入山し,治山布教の功績をあげ学頭となり,また,その書は鶯梅院流として世人の高い評価を受けた。明治4年岡山県に所属。同8年吉田村を合併。同22年雄神村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416665
最終更新日:2009-03-01




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