ケータイ辞書JLogosロゴ 沢田村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国上道郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。なお文禄4年12月吉日の宇喜多秀家判物写(黄薇古簡集)によれば,当村のうち30石が浮田弥兵衛に与えられている。村高は,「領分郷村高辻帳」582石余,「天保郷帳」655石余,「旧高旧領」653石余。また「備陽記」では,高582石余,反別34町2反余,家数53・人数347,池4。岡山藩領手鑑では,田が高541石余・反別30町3反余,畑が高57石余・反別6町余,家数86・人数425,牛29,池5,橋9,樋7,請藪8とある。用水は溜池掛りで,旭川から取水する祇園用水の分水も利用。享保10年村内に御林が設定されたが,その百姓自林への戻しを訴願して,宝暦11年には19町8反余の下草刈りが許可されている(撮要録)。寺院は真言宗沢田山恩徳寺。寺伝によると報恩大師が備前四十八か寺の1つとして再興を計り,塔頭をそれぞれ西方院・池松院・多聞坊と称した。寛文年間の寺院淘汰策では禅宗沢田山医王院の住僧が出寺している(同前)。恩徳寺19代の住職行聖は嘉永5年の火災で荒廃した同寺を再興,農民への授産として寺林に竹林を造成し,のち「沢田タケノコ」の評判を得た。明治4年岡山県に所属。明治元年寺子屋が開設されたが,同5年の学制施行により15番小学を設置。同22年幡多村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416786
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ