ケータイ辞書JLogosロゴ 塩見町(近世)


岡山県>岡山市

江戸期〜明治11年の町名江戸期は岡山城下の1町,町人地城下の北部,外堀の西沿いに位置する南は山崎町,西は山崎町・丸亀町,北は難波町町の長さは約200間に及んだが,商家が少なく,諸役は山崎町に属した北に禅宗高徳山泰安寺があり,宝暦年間に慈雲山国恩寺と改号浄土宗光山養林寺・日蓮宗本涌山本行寺・同宗本門山宝仏寺もある(吉備温故秘録)西方,養林寺のあたりは養林寺堀端町と呼ばれた貞享元年の岡山町中御検地畝高地子帳(池田家文庫)によれば,高6石余,畝数7反6畝余,うち免除の養林寺などを引いて,残る3反7畝余に対する徳米3石余・口米6升余嘉永7年の家数20,人数24うち男8・女16(旧岡山市史3)明治11年山崎町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416831
最終更新日:2009-03-01




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