ケータイ辞書JLogosロゴ 下和(近代)


岡山県>中和村

 明治22年〜現在の中和村の大字名。明治24年の戸数113,人口は男222・女199,学校1。中和村での鉄生産は明治14年頃を最後に廃業したが,一の茅奥の上杉・山乗一帯に残存していた大量の鉄滓は,大正6年頃から10年間にわたり鳥取県三朝【みささ】町の中国製鉄下西谷工場に運ばれて製鉄原料とされ,製鉄燃料として上杉山・山乗山の原始林1,000町余の立木が買収され製炭搬出された(中和村史)。かつては米作や煙草を中心に薪炭などを産出する農山村であったが,特産の葉煙草は昭和10年作州葉から備中葉へ転換以来減少した。同29年ジャージー種乳牛が導入され酪農が行われたが,のちに衰退した。同63年圃場整備事業がほぼ完了。現在は米作を中心に一部で和牛の飼育や酪農が行われているが,大部分は村内の縫製工場・砕石工場・官公署などに勤める兼業農家である。津黒山西麓の小津黒は古くから温泉湧出で知られ,昭和38年温泉ボーリングに着手。同49年津黒高原上に屋外温泉プール・キャンプ場などを備えた村営国民宿舎が開設され,同59年には津黒高原スキー場も併設され,村主導で観光化が進められている。同年津黒から津黒山の北稜を越え上斎原村に至る広域基幹林道美作2号が完成した。同60年の世帯数139・人口451。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7416861
最終更新日:2009-03-01




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