ケータイ辞書JLogosロゴ 下原村(近世)


岡山県>成羽町

 江戸期〜明治22年の村名。備中国川上郡のうち。毛利氏の支配を経て,慶長5年幕府領,元和3年成羽藩領,寛永19年幕府領,万治元年から旗本山崎氏(のち成羽藩)領。村高は,寛永古図で256石余,「備中至宝記」150石余,「天保郷帳」363石余,「備中村鑑」130石余,「旧高旧領」377石余。「備中誌」によれば古高150石余,改高363石余,荒引分を引き129石余となっている。村内には成羽藩の陣屋が置かれ陣屋町が形成された。寛永16年藩主となった水谷勝隆は,三村家親の鶴首城北麓に陣屋を建設することとし,次いで山麓近くを流れていた成羽川を北方に付け替えその間に陣屋町を形成しようとしたが,同19年未完のうちに松山へ転封となった。万治元年山崎豊治が父家治の旧領に封じられ,豊治の手によって成羽村内旧三村氏居館周囲の古町・桜町などの商家が移転させられ,水谷氏の計画が継承された。享保年間の陣屋町図写を見ると,鶴首山麓に御殿屋敷が置かれ,作事門・御下場を挟んで本丁の通りが東西に通じ,鍵状に折れて西に新町,東もかぎの手状に折れ曲がりながら鷹部丁・星原丁と続き,御門で区切られている。新町の西,陣屋町西部が町人区域で,新町に続いて東から上ノ丁・中ノ丁・次ノ丁・下ノ丁とあり,下原御門で区切られている。この通りから南側へは愛宕小路・金屋小路・高松屋小路が通っている。その山麓には,東から法華宗松王山本光寺・真言宗栖隆山竜泉寺・一向宗宝提山正玄寺・曹洞宗華岳山桂岳寺と並んでいる。竜泉寺は行基の開創と伝え,大同年間弘法大師が聖観世音菩薩を彫刻,安置したという。神社には愛宕神社があり宝永年間江戸愛宕社を勧請といい,祭礼には白谷の河原で花火が打ち上げられ現在に伝える。「備中誌」にも「白谷 炎暑の頃,清涼の地にて納涼,諸人群集す,六月例年花火あり」と見え,産物には白谷煙草を記す。成羽県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属。なお江戸期交代寄合であった山崎氏は,明治初年高直しによって万石以上の大名となり,廃藩置県に際しては陣屋に成羽県庁が置かれた。同22年東成羽村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417094
最終更新日:2009-03-01




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