ケータイ辞書JLogosロゴ 下村(中世)


岡山県>英田町

鎌倉期〜南北朝期に見える村名美作国英多【あいだ】郡河会郷のうち正応元年10月日の渋谷明重後家尼寿阿置文案(岡元家文書)では,渋谷有重死後の所領公事の配分を定めているが,その中に「一,河会郷内本郷中村・上山下村」とあり,公田4町8反大19歩の公事を平次入道(公重),性観房(重高),おくのこせん,たきのこせんで配分している同4年8月28日の関東裁許状案(同前)によると,渋谷致重の2人の娘辰童と弥陀童が,亡父致重の遺領を巡って相論となり「美作国河会郷内下村半分」を含む所領を両者で和与している貞和5年閏6月23日の渋谷重勝同日一筆譲状では「河江庄内本郷下村西方」を重継に譲られ,観応2年7月30日の足利直冬下文では,重勝に「河会郷下村」その他が安堵されている(入来院家文書)また貞治7年8月6日の渋谷重成譲状(入来院家文書/入来文書)では「河会庄内本郷下村西方」その他の所領を子息松丞丸に譲っている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417141
最終更新日:2009-03-01




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