ケータイ辞書JLogosロゴ 下湯山村(近世)


岡山県>賀陽町

江戸期〜明治7年の村名備中国上房郡のうち宇甘【うかい】川支流湯山川・吉川川流域に位置する江戸後期に湯山村が上湯山・下湯山に分村して成立したものと思われる一橋家領村高は,天保4年の御物成算用目録で543石余(賀陽町史),「旧高旧領」も同高なお「備中村鑑」では下湯山村270石余・上湯山村543石余と記されているが誤記か天保4年の御物成算用目録によれば,村高のうち毛付高344石余(田189石余・畑72石余など),取米のほかに楮米1石余,口米2石余,藪銀は金1匁余,夏草代金永121文余,染代金永6文余,渋代金永75文,麻苧代金永238文余,鉄炮代金永100文,草山役金永144匁余,口銀永51文余,六尺給米1石余,御伝馬宿入用米3斗余,御蔵前入用金1匁余を上納している明治元年百姓の困窮と庄屋の不正が原因の一揆が起こる倉敷県,深津県を経て,明治5年小田県に所属同7年湯山村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417164
最終更新日:2009-03-01




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