ケータイ辞書JLogosロゴ 宿村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国上道郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」959石余,天保年間の草ケ部組村村高帳(安井家文書)で1,024石余,「天保郷帳」1,082石余,「旧高旧領」1,083石余。なお「備陽記」では,高959石余,反別56町2反余,家数70・人数429,池8,枝村に新屋敷がある。西国街道が通るが,「吉備温故秘録」によると,宇喜多秀家の時代に従来の道筋が変えられて今の通りになったとある。同街道の一里塚があったが,明治39年古都小学校校舎新築のときに取り壊された。また宿から土田へ通じる道は赤坂往来と呼ばれた。用水は,池のほか,庄内川を利用。入会地を巡って隣村とたびたび山論が起こり,享保6年には藤井村と草刈入会権を巡る争論となり,宝暦年間〜文政年間には矢津村と山林入会権を巡る争論となっている(撮要録)。明治4年岡山県に所属。慶応元年野崎鶴治が寺子屋を開設したが,明治7年宍甘【しじかい】・矢津・宿3か村連合の古津小学校設立。同22年古都村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417175
最終更新日:2009-03-01




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