新福村(近世)
江戸期〜明治8年の村名。備前国御野郡のうち。寛永7年に干拓された新田村。貞享年間から本村となる(備陽記)。岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」363石余,「天保郷帳」372石余,「旧高旧領」371石余。また「備陽記」によれば,高363石余,反別22町2反余,家数21・人数143。字地名には北村・東村・村前・村後など,親村である浜野村との方角関係を示すものが多い。砂浜海岸特有の浜沼に当たる水深の深い部分もあったようで,鼻繰溝は,もと堤防外の水尾筋であったという(福浜村誌)。また字城は,藩が干拓するにあたり郷士格の原田氏を当地に移住させ,1町四面の御免地を邸宅として与えたところで,西門に樋を構えて水を引き入れ,邸の四囲に溝渠地水を通したという。この原田邸を皆城と呼び,これを中心に西門・城ノ前・城ノ西・南城前の地名を付けたという。明治4年岡山県に所属。同8年豊成村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417288
最終更新日:2009-03-01