菅野村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。津高郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」829石余,「天保郷帳」850石余,「旧高旧領」829石余,また「備陽記」によれば,高829石余,反別21町1反余,家数71・人数514,池13,枝村に尾越(大越)・晴見谷・西菅野があり,うち西菅野の反別38町9反余,家数75・人数541,池24とある。「備陽記」に,菅野村はもと東菅野村と称したとあり,また「吉備温故秘録」にも,東菅野村と西菅野村がそれぞれ一村をなしていたが,いつの頃からか西菅野村は枝村になったとある。寺院に日蓮宗正保山幸福寺円珠院がある。備前四十八か寺中2番目に建立された寺院と伝え,はじめ三論宗,のち天台宗となり,戦国期,金川城主松田氏の力によって日蓮宗に改宗した。明治4年岡山県に所属。同8年辛香村を合併。明治7年幸福寺の客殿に菅野小学校を開設。同14年学区を二分して,旧東菅野に菅野小学校を新築,旧西菅野に田原村と共立の菅田小学校を開校。同16年戸長役場設置。同22年野谷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417317
最終更新日:2009-03-01