- JLogos検索辞書>
- 大王村(近世)とは
「大王村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
大王村(近世) 江戸期~明治16年の村名安芸国佐伯郡のうち西能美島の南部地名は,一説では安徳天皇の行在所跡といわれる王城地が存在したとする故事に由来するという(芸藩通志)能美島西が分村して成立寛永15年地詰では岡村とともに沖浦とある(大柿町史)広島藩領蔵入地村高は,正徳2年所務役人頭庄屋郡邑受方記や「芸藩通志」「旧高旧領」ともに137石余「芸藩通志」によれば,戸数85・人数453,村の広さは東西15町余・南北33町,「山業,舟運も稍あり」と記す船は50石以下12,船10艘つなげる埠頭が笠松にあった明治4年広島県に所属同14年の田15町6反・畑44町8反余・宅地4町2反余,地価は各々6,248円・5,364円・1,512円(佐伯郡治要覧)同16年岡大王村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」