ケータイ辞書JLogosロゴ 高屋村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国上道郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」788石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに885石余。また「備陽記」では,高788石余,反別48町8反余,家数52・人数269,西国街道が通り,茶屋が置かれていた。岡山藩領手鑑では,田が高748石余・反別40町1反余,畑が高23石余・反別8町5反余,蔵入地のほか家臣8人の給知と台崇寺領,家数56・人数224,牛17,樋13,橋15,給所藪6・請藪5とある。用水は旭川から取水する祇園用水の分水を利用。神社に正八幡宮がある。寛文年間の寺院淘汰策では,禅宗寺地山光明寺の住僧が還俗となった(撮要録)。慶応元年に寺子屋開設。明治4年岡山県に所属。同9年成始小学校設置。同22年幡多村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417559
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ