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岡山県>岡山市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ幡多村,昭和29年からは岡山市の大字。幡多村役場所在地。明治24年の戸数49,人口は男102・女107,学校1。昭和30年代までは米麦生産中心の純農村地帯で,用水は祇園用水から分水。旧山陽道が国道(現市道)となり中央部を東西に走ってバスも運行されたが,昭和30年代後半に国道2号が新設され,近年同沿線には自動車販売の事業所を中心に工場・商店が進出,村落形態が大きく変貌しつつある。また住宅地化も進行。昭和9年の風水害時には百間川が決壊し,全域が浸水した。大正15年幡多幼稚園設立。昭和40年幡多小学校新校舎完成。同45年の世帯数368・人口1,221(男615・女606)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417560
最終更新日:2009-03-01




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