財郷(中世)
南北朝期〜室町期に見える郷名。備前国上道郡のうち。嘉慶2年12月日の熊野本宮領備前国散在斗餅田下地目録(八坂神社文書)に「財郷 壱町捌段」とあるのが初見。応永20年8月日の備前国棟別銭沙汰并無沙汰在所注文案(東寺百合文書ヌ)に「一,不及異儀,致沙汰在所分」の1つに「財郷」とあり,また室町中期と推定される年月日未詳の備前国衙御料所注文(宝鏡寺文書/東大史料影写本)にも当郷名が見える。室町中期の備前国衙領は京都宝鏡寺大慈院の支配下にあり,その大慈院には足利義政の女が入室していたから,実態は足利家領であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417570
最終更新日:2009-03-01