ケータイ辞書JLogosロゴ 竹原村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。上道郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。なお慶長18年12月4日の池田忠継判物(昌蔵寺文書/福井県史資料編4)によると,昌蔵寺領として当村のうち141石余が与えられている。村高は,「領分郷村高辻帳」1,204石余,「天保郷帳」1,456石余,「旧高旧領」1,455石余。「備陽記」によると,反別73町6反余,家数195・人数1,038,小船3,枝村に高下・門前・上分・馬路山・辻がある。また文政元年の手鑑では反別70町8反余うち田39町7反余・畑31町1反余,家数240うち下分100・上分104,人数910うち下分432・上分478,牛60とある。用水は倉安川から引水。集落は砂川の自然堤防上に南北に細長く形成され,上分・下分に分かれていた。神社は片岡大明神(現竹原神社)。寺院は天平勝宝元年報恩大師創立と伝える天台宗明王寺。江戸後期の漢学者で村塾を開いていた岡田篁村,吉備歌壇の一翼を担う歌人の藤原忠朝兄弟が当村の出身。明治4年岡山県に所属。同7年65番小学を開校。同8年上分・下分の別を廃止。同16年戸長役場設置。同22年角山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417612
最終更新日:2009-03-01




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