ケータイ辞書JLogosロゴ 田淵村(近世)


岡山県>哲多町

 江戸期〜明治22年の村名。備中国哲多郡のうち。江戸初期には田淵野々上村とも称した。毛利氏の支配を経て,のちに松山藩領,正徳元年からは幕府領。村高は,元禄年間の検地で722石余うち南北【なぎた】村48石余,「備中至宝記」では田淵野々上村と見え722石余,「天保郷帳」では古くは田淵野々上村と注記され722石余,「備中村鑑」も同高,「旧高旧領」731石余。元禄年間の検地では田32町9反余・畑23町8反余。米作が中心で,ほかに製鉄業が営まれていた。天保7〜8年の凶作で逃散が行われたと伝えられる。同8年の人数は男179・女120で,翌9年には男128・女103となる(新砥村郷土誌)。嘉永3年馬酔木谷【あせびだに】,安政6年小平谷にそれぞれ寺子屋が開設され,20名前後の男女が学んだ。寺院は元中年間の開基と伝える真言宗竜王寺,神社は正中年間の創建と伝える荒戸神社がある。倉敷県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属。同年の戸数91・人口432うち男241・女191(同前)。明治6年馬酔木谷の民家に啓蒙所が開設され,同9年荒谷小学校となり,同17年小平谷に新校舎を建築移転,生徒数は男41・女2(同前)。同22年新砥村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7417729
最終更新日:2009-03-01




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