前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 富田荘(中世)とは

「富田荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

富田荘(中世)


 平安末期~戦国期に見える荘園名...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7418018]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
富田荘(中世)

 平安期~戦国期に見える荘園名

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
 平安末期~室町期に見える荘園名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
 鎌倉期からみえる荘園名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
平安末期~南北朝期に見える荘園名日向国臼杵【うすき】郡のうち現在の日向市財光寺・日知屋付近と,新富町上富田付近に比定する両説がある宇佐八幡宮領「宇佐大鏡」には「富田庄起請定田四十四丁」と長承年間の目録には定田55町あったが減じた旨を記し,この荘が国司海宿禰為隆の時,永承年間に封民15人の代として荒野に四至を定め,宮に立券を進めて開いたもので,所当例済物は「重色八十八石 軽色八十八疋 田率綿三十三両〈正二十二両〉口十一両 桑代絹十二疋 上品二疋代六疋 麁絹六疋」であると記す(大分県史料24)延岡市岡富にある今山八幡宮の天永元年11月の今山八幡宮御造営祭会引付・今山八幡宮御神事并祭会料米下行引付によると,今山八幡宮の神事・祭会や造営は臼杵・岡富・富田の3荘が中心となって運営されていたことがわかる(今山八幡宮旧記)安元2年2月の八幡宇佐宮符案によると,行幸会に色々雑物として「御服綿一屯 手作布四段 麻布五段 調布二段 色革拾枚 紫六斤 茜六斤 紅花一斤 空青四十五両 銅廿七両八分」と行幸会綾船水手を「富田・調殿合一人」出すように命ぜられている(奈多八幡縁起私記/日向国荘園史料1・平遺3744)鎌倉期になると,建久8年の「日向国図田帳写」には,宇佐宮領「富田庄八十丁」臼杵郡内,「地頭故勲藤原(左)衛門尉,不知実名」とあるこの故勲藤原(左)衛門尉とは工藤祐経のことであり,「日向記」に見える工藤祐経の日向4か所の所領の1つ,富田荘80町が,当荘に相当するものであろう工藤祐経の子伊東祐時は七男八郎九郎祐景に富田荘と県荘を与え,祐景は門川氏の祖となる康永3年閏2月28日の尼明知土地売券に山城国延年寺の地を「日向国富田荘内日智屋寺別当御房」に売ったことが見える(妙本寺文書/大日料6-8・日向古文書集成)この文書が当荘を日向市に比定する根拠の1つであろう日知屋は宇佐弥勒寺領富高荘に近く,富高荘を富田荘に誤ったかとも思われる貞治元年12月の大光寺年貢日記に「七百文富田麦代」「一貫文富田地料」,貞治7年正月18日の大光寺年貢諸日記に「二百文富田地料」とあるが,当荘のことか下富田のことか不明である(大光寺文書/日向国荘園史料1・日向古文書集成)伊東氏四十八城の1つ富田城は,当荘の新富町の比定地内に築かれており,新富町の方が有力であろう富田城(上ノ城)は一ツ瀬川河口に近い新富町上富田字上城ノ元にあり,永禄年間には伊東氏の将湯地氏の居城であったという(日向記)その後,島津氏の支配下となって以降は新納氏が守り,「上井覚兼日記」天正12年11月18日・同13年5月28日・同14年6月17日などに見えているこの間,応永28年の「五郡田代写」臼杵郡内に「富田八十町」とあり,また,天文2年8月3日の宇佐宮領注文(到津文書/大分県史料24)に「富田庄八十町」とあるが実態ははっきりしない天正16年8月4日の島津豊久宛て豊臣秀吉の知行方目録(磯尚古集成館文書/鹿児島県史料拾遺1・旧記雑録後2)にも「八拾町 富田」,天正19年の「日向国五郡分帳」にも「富田 八十町」と見える...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
 平安末期~鎌倉期に見える荘園名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
平安末期から見える荘園名伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡のうち寛治8年閏3月8日,伯耆大山寺の大衆が白河院御所に強訴した(中右記)ことにかかわる「大山寺縁起」の記述の中に「富田ノ庄司」と見えるのが初見史料の性格から見て若干の疑問も残るが,富田荘の成立が平安末期にまでさかのぼることはほぼ誤りないところであろう「大山寺縁起」の述べるところによると,大山寺地蔵会の頭役にあてられた富田荘司がこれに異議を唱え,誰が負担すべきかをめぐって山内の西明院・南光院・中門院の3院衆徒が対立し,さらにこれが中門院座主と大山寺大衆との対立に発展し,ついに大山寺衆徒300名による上洛強訴に至ったという(県史2)問題の発端となった富田荘司が具体的に誰を指すのか,またその荘園領主が誰であったのかなどはいずれも明らかでない建武3年正月2日足利尊氏下文案(小早川什書/大日料6-2)および同年11月24日高師直施行状案(同上)によると,当荘内天万郷の一分地頭職が小早川道円に還補されており,この当時の富田荘が天万郷などいくつかの郷を単位として構成され,それがさらにいくつかに分割されて各領主の支配下に置かれていたことが知られる康暦元年4月5日付光明寺鐘追銘(日本古鐘銘集成)に見える「会見郡富田下郷(富田荘下郷か)」も明証には欠けるものの富田荘を構成する郷ではなかったかと推定され,また天正18年8月10日の谷川八幡宮棟札(西伯町誌)には「相見郡富田庄柏尾郷」とあって,中世の富田荘が,現在の会見町を中心に西伯町と米子市のそれぞれ一部を含む地域にあったことがうかがわれる「荘園志料」は「会見郡中天万,寺内,三崎,上安曇四村を富田荘と云ふ」として「柏尾郷」地域をこれから除外しているが,正しくはこれを含めた法勝寺川流域と小松谷川の西側流域一帯がその荘域であったと思われるなお,一説によれば,富田荘の荘司は平安末期会見郡東部に勢力を誇った紀成盛とその後裔であるとする伝承もあるとのことであるが,これを証明するものは何も残されておらず疑問である...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
鎌倉期~室町期に見える荘園名伊勢国鈴鹿郡のうち文治3年の公卿勅使駅家雑事勤否注進状(吾妻鏡文治3年4月29日条・鎌遺224)に見え,平家与党没官領後白河院領で地頭は工藤左衛門尉助経「民経記」寛喜3年10月9日条(大日料5-6)にも公卿勅使駅家雑事に関して,賦課を領掌した荘園群に当荘の名が見え,城興寺領となっている後,文正元年の内宮政所大夫氏秀の磯部郷宛て書状によれば,当荘は原荘とともに祭主領となっており,300貫文の在所であった(氏経引付)いつ祭主領となったかは不明であるが,永享4年神祇権大副大中臣秀直と兄宗直が,原荘と当荘半分をめぐって相論を行っており,秀直は父故祭主通直より応永35年譲与され,父の処分状に任せ,兄宗直に当荘を扶持したが,彼は年貢を抑留するため扶持に堪え難いと主張,宗直は年貢は今後沙汰するが,下地は自己の所有と反論,結果は訴訟途中,宗直が避状を出し,将軍足利義教も未進分の沙汰,下地の秀直への引き渡しを命じている(御前落居奉書11月28日条)文正元年の先の氏秀書状では,当荘は「たむら(田村)」の峯氏が代官として年貢を請け負っていたことが述べられているが,文明9年内宮造宮使(祭主秀忠)雑掌は,内宮三禰宜守秀を提訴その理由として文明元年・2年両度にわたり,原荘と当荘の年貢を質として120貫文借用したが利倍々のため返却不能に陥ったところ,守秀は借書の文言に任せて「永領」と称して押領したという(政所賦銘引付8月18日条)永正8年内宮は庁宣を下し,峯氏に「富田十石上分」を二禰宜守晨代官に納入すべきことを命じ,その理由として,上分米10石はかつて遷宮に際して内宮が助力したため祭主が「御用銭」として毎年内宮に納入することを定めたものであるという(内宮引付/大日料9-3)これは文明9年の相論の結果を示すものであろう下って天正11年の「内宮神領本水帳」には「とみた」と見えるが,江戸期には中富田村・西冨田村となっている...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える荘園名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
鎌倉期~戦国期に見える荘園名美作国勝田郡のうち富多荘とも書く年月日未詳の「真如堂縁起」によれば,嘉禎4年執権北条泰時が上洛した際,真如堂に対し「美作国富田庄之内藤田里地頭職」を寄進したというなお年月日未詳の某書状(兼仲卿記裏文書/鎌遺12580)に「富多庄法也(ママ)濫妨□(事カ)□大炊御門二位申状等如此」とある下って,嘉元4年6月12日の昭慶門院(憙子内親王)御領目録(竹内文平氏所蔵文書)に,大宮院(藤原姞子)領として,「富多庄〈河辺郷 前左兵衛督親氏卿 御年貢二万疋 弘野高野郷五辻二位宗氏卿 御年貢〉」と記されているさらに,元応元年10月日の大社小比叡社社家注進状写(日吉山王新記所収文書/続群2下)に,日吉社領として,「美作国富多庄〈河辺郷 弘野郷 季節神供并四季大般若料所〉」と記されている下って戦国期になると,永正12年12月日の真如堂領諸国所々目録(真正極楽寺文書)に美作国分として,「藤田村并富田庄之内弘野利国名・新宮・西山・栗尾・算々告田・蓮花寺等」が見え寛喜元年4月に散位藤原朝臣が寄進したものと記す荘域は現在の津山市の東部を流れる加茂川の東岸の近長・河辺・日上,広戸川流域の田熊・福井・新田・西吉田・国分寺あたりのかなり広い地域と推定される当荘のうちに河辺郷・弘野郷・高野郷・綾部郷・藤田村などの諸郷村が含まれていた...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
 南北朝期~室町期に見える荘園名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

富田荘(中世)
 南北朝期に見える荘園名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
428曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『二輪・自転車安全日、缶ジュース発売記念日』

今日の暦

月齢:19

月齢:19
月名(旧歴日):寝待月(ねまちづき)/臥待月(ふしまちづき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・28日
・日
・Sunday
・仏滅

二十四節気:「穀雨<
・a>」から<
・font>9日「
立夏<
・a>」まで<
・font>7日


JLogos Now!!