ケータイ辞書JLogosロゴ 富原村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国津高郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」546石余,「天保郷帳」745石余,「旧高旧領」1,282石余。また「備陽記」によれば,高546石余,反別47町余,家数82・人数672,池11,枝村の1つに大岩があり,その反別37町7反余,家数46・人数358。「元禄郷帳」によれば「古ハ西原村 富原村」とあり,当村の西原村の称に対して,笹ケ瀬川対岸の中原村はもと東原村と称した。古代の山陽道は中原村から村内を東西に通っていたといい,当村の三百峠は西方の今岡村の呼坂と間近にあるため点頭坂と称されていた。明治4年岡山県に所属。同8年枝村の別を廃して大岩を合併。同10年戸長役場設置。同15年中原村との学校設置の組合を解消し,成徳小学校を開校。同16年中原村との連合戸長役場設置。同22年横井村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418026
最終更新日:2009-03-01




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