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岡山県>岡山市

 明治22年〜昭和47年の大字名。昭和44年からは西大寺を冠称。はじめ可知村,昭和28年西大寺市,同44年からは岡山市の大字。明治24年の戸数113,人口は男274・女256,学校1・船25。米麦生産中心の農業地域。明治35年東端を県道九蟠港長岡線が南北に,南端を県道岡山邑久保線が東西に開通。九蟠港長岡線には昭和37年長利経由の岡山駅〜西大寺間のバスが,岡山邑久線には大正8年に乗合自動車が運行された。低地に位置するため,明治25年・同26年・昭和9年と水害を受けた。昭和9年には百間川が当地で決壊,可知村内390戸中374戸が濁水にのまれる惨状を呈した。同40年の世帯数124・人口525(男258,女267)。同47年中川町・可知1〜5丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418100
最終更新日:2009-03-01




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