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岡山県>岡山市

 明治22年〜現在の大字名。昭和44〜47年は西大寺を冠称。はじめ豊原村,昭和27年邑久町,同28年西大寺市,同44年からは岡山市の大字。明治22年の戸数170・人口704。同24年の戸数161,人口は男379・女355,学校1・船56。明治23年金光教豊原教会所開設。同42年村社豊原南島神社に地内の小字にあった8社を合祀し総氏神とした。氏子数211戸(邑久郡史)。明治末期から山麓の畑を桑園に利用し養蚕も行われたが,昭和初期に衰退。大正5年に電灯線が架設。昭和初期にバス交通が開かれ,西大寺〜円張間を往復。地内を縦断する千町川は,川幅狭小・勾配緩慢に加え,長年の泥土の堆積もあって排水機能の低下を招き,大雨時には沿岸農地に氾濫してきた。昭和7年から川底・幸島湾の浚渫,護岸・樋門の改造など,その改良工事が施行された。同28年の世帯数162・人口784。同年一部が邑久町東谷となる。同年長沼公民館設置。同40年の世帯数130・人口601(男287・女314)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418192
最終更新日:2009-03-01




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