ケータイ辞書JLogosロゴ 中之町(近世〜近代)


岡山県>岡山市

江戸期〜昭和45年の町名江戸期は岡山城下の1町,町人地明治11年岡山区,同22年からは岡山市の町名城下の西部,中堀と内堀の間に位置する東西は両堀に面し,南は下之町,北は上之町と接する古くは少し北に位置していたという中堀に中の橋が架かる(吉備温故秘録)貞享元年の岡山町中御検地畝高地子帳(池田家文庫)によれば,高27石余・畝数1町3畝余,徳米28石余・口米5斗余また元禄13年の地子米高は2石6斗で,町の格を示す内町中7位宝永5年11月の大火では全焼した(同前)西大寺町の本陣役を勤めた柳屋次郎左衛門が居住また文人では和歌藤井高尚門下の糸商人糸屋伊藤義足が居住天明8年調べでは,諸物問屋1軒・塩問屋1軒があった(旧岡山市史4)嘉永7年の家数96,人数248うち男131・女117(同前3),昭和7年の戸数72,人口498うち男283・女215(同前6)同45年表町1〜3丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418201
最終更新日:2009-03-01




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