ケータイ辞書JLogosロゴ 中垪和上口村(近世)


岡山県>旭町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国久米北条郡のうち。慶安元年小山村から分村して成立。はじめ津山藩領,元禄10年幕府領,同15年上野安中藩領,寛延2年からは三河挙母藩領。村高は,「作陽誌」では小山村366石余のうち,「美作鬢鏡」329石余,「美作鏡」323石余,ほかに新開8石余,「旧高旧領」331石余。「作陽誌」によれば,家数63・人数348(男176・女172)。貢租は,中垪和谷村栃原の蔵に収められ,のちに備前を経て大坂へと回漕されている。挙母県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。明治初年角石畝村から天子山に真言宗醍醐派天通山恩性寺が移転してきたといい,この頃に両山寺の護法祭が勧請されている。同22年垪和村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418209
最終更新日:2009-03-01




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