ケータイ辞書JLogosロゴ 新山村(中世)


岡山県>加茂川町

 鎌倉期に見える村名。備前国津高郡長田荘賀茂郷のうち。弘安10年4月19日の関東下知状(神田孝平氏所蔵文書)に「当(長田)庄賀茂郷内中村・新山・下賀茂地頭式部孫右衛門尉頼泰」と見える。同下知状および同日付の別の関東下知状(早稲田大学所蔵文書)によれば,伊賀(式部)頼泰は,靏峰・河内村地頭の伊賀光藤,紙工【しとり】保地頭伊賀光高,建部郷地頭の伊賀妙光女子とともに,荘官の補任権,検断権,山野の支配権を巡って,長田荘雑掌から訴えられ,幕府はそれぞれについて両者の進止を認める折衷的な裁決を下し,同年6月28日の六波羅探題施行状(日本武将古文書/明治百年大古書展出品目録)で施行されている。嘉暦元年6月18日の前石見守繁成備前国長田荘本家職寄進状(古文書集5)によると,後宇多院が長田荘本家職を大覚寺大金剛院に寄進したことに基づいて,後宇多院の陵墓のある蓮花峰寺の寺用を納めることとなった。同寄進状には「本家役者,蓮花峰寺寺用毎年銭貨参万疋〈加河内新山両村定〉」と見えることから,当村はこの頃には惣荘の支配からある程度分離していたものと推定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418376
最終更新日:2009-03-01




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