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「西分(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

西分(近世)


江戸期~明治5年の村名美作国勝南郡のうち吉井川支流広戸川に合流する肘川流域に位置する江戸後期に池ケ原村が東分・西分に分村して成立したと思われる津山藩領村高は,「...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7418550]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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西分(近世)

江戸期~明治5年の村名美作国勝北郡のうち梶並川支流滝川中流域に位置する宝暦10年田井村が東分と当村に分村して成立相模小田原藩領を経て,文化10年幕府領,同12年出羽上山藩領,文政元年幕府領(天保11年播磨竜野藩預り地),明治元年からは鶴田【たずた】藩領村高は,「東作誌」に「田井村西分」と見え271石余,「天保郷帳」は田井村729石余のうち,「美作鏡」「旧高旧領」ともに「田井村西分」と見え271石余「東作誌」によれば,毛付高246石余,家数24・人数102,溜池1(正保3年築造の午王田池),井堰5,林山11,堂1,神社は西宮大明神など10,地字に山路・山ノ神・郷田・田中がある明治4年鶴田県を経て,北条県に所属同5年田井村の一部となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国勝北郡のうち広戸川支流羽出川流域に位置する江戸末期までに植月北村から分村して成立幕府領(寛政11年~天保15年は播磨竜野藩預り地)なお,一説では宝暦2年~同9年は因幡鳥取藩預り地,文化7年~弘化元年竜野藩預り地(植月村誌)村高は,「東作誌」「美作鏡」「旧高旧領」ともに478石余ただし「東作誌」「美作鏡」には「植月北村西分」と見え,「美作鏡」では植月北村分郷と注記し,「旧高旧領」は植月北村と注記する「東作誌」によれば,毛付高471石余,家数53・人数215,山林66,井堰5・溜池6,神社は日吉山王宮・森大明神など14生野県を経て,明治4年北条県に所属同5年植月北村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治7年の村名美作国勝北郡のうち滝川上流域,滝山南麓に位置する享保6年北野村が町分と当村に分村して成立なお,分村後も2村を合わせて北野村と示すこともある幕府領村高は,「東作誌」には「北野村西分」と見え363石余,「天保郷帳」は北野村833石余のうち,「美作鏡」「旧高旧領」ともに「北野村西分」と見え363石余「東作誌」では家数33・人数140元文4年北野村百姓与三右衛門・藤九郎らが起こした元文勝北騒動は,横仙35か村3,000名以上の農民が参加する大一揆となり,東分と当村の庄屋は御役取上となっている倉敷県を経て,明治4年北条県に所属同7年滝本村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国勝南郡のうち梶並川と曽井川の合流点西側の氾濫原に位置する北に丘陵山地,南に平地が広がる北山村が江戸中期以後に東分と当村に分村して成立北山村の分村は正徳4年といわれる上野沼田藩領村高は「美作鏡」「旧高旧領」ともに353石余なお,「美作鬢鏡」「天保郷帳」は北山村586石余のうち「美作鏡」には「分郷北山村西組」,「旧高旧領」では「北山村西分」と見える「東作誌」によれば,「北山村之記」のうちに西分として見え,村高353石余,家数27・人数116明治4年沼田県を経て,北条県に所属同5年北山村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国東北条郡のうち加茂川支流の蟹子川上流の北方に位置する江戸中期までに大篠村が当村と東分に分村して成立したものと思われる津山藩領村高は,「美作鬢鏡」では「大笹西」と見え510石余,「東作誌」では「大篠村西分」と見え510石余,「天保郷帳」では大篠村1,003石余のうち,「美作鏡」では「大笹村分郷大笹村西分」と見え510石余,「旧高旧領」では「大篠村西分」と見え517石余「東作誌」によれば,家数72・人数278(男157・女121)明治4年津山県を経て,北条県に所属同5年大篠村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国西西条郡のうち布原村を除いた古川村が東分と西分に分かれて成立津山藩領「美作鏡」では古川村西分とあり,高579石余「旧高旧領」では東分を合わせ古川村として1,603石余古川村内を流れる香々美川右岸が西分で,集落は伊勢領と呼ばれた安永6年の古川村銘細帳によれば,津山藩主が森氏の頃,伊勢社・愛宕社へ村内の一部を割いて寄進したことから名付けられたとある慶長11年に森忠政が伊勢・愛宕両社へ各100石を寄進している明治4年津山県を経て,北条県に所属同5年古川村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国東北条郡のうち加茂川支流倉見川上流域に位置する天明3年倉見村が東分と当村に分村して成立幕府領を経て,寛政元年下総佐倉藩領,同6年からは幕府領村高は,「美作鬢鏡」は倉見村170石余のうち,「東作誌」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに倉見村179石余のうち,「美作鏡」では倉見村分郷と注記され「倉見村西分」と見え97石余「東作誌」は家数・人数を東分・西分に分けて記しており,当村の家数22・人数80倉敷県を経て,明治4年北条県に所属同5年倉見村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国東北条郡のうち倉見川支流欠場川流域に位置する寛政7年行重村が東分と当村に分村して成立津山藩領村高は,「東作誌」は行重村608石余のうち,「天保郷帳」も行重村609石余のうち,「美作鏡」では「行重村西分」と見え284石余,「旧高旧領」では行重村609石余のうち地内は慶応2年の美作改正一揆発端の地で,一揆の指導者は仁木直吉明治4年津山県を経て,北条県に所属同5年行重村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国東北条郡のうち蟹子川流域に位置する享保13年に下高倉村が東分と当村に分かれて成立したという(東作誌)津山藩領村高は,「東作誌」521石余,「天保郷帳」では下高倉村1,434石余のうち,「美作鏡」では「下高倉村西分」と見え635石余,「旧高旧領」には「下高倉村西分」と見え648石余「東作誌」によれば,家数59・人数249明治4年津山県を経て,北条県に所属同5年下高倉村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治9年の村名備中国都宇郡のうち岡山平野中央部に位置し,北部は備南台地,南部は干拓地江戸末期に早島村が東分と当村に分村して成立旗本戸川氏領村高は,「備中村鑑」には「早島村西」と見え920石,「旧高旧領」では「早島村西分」と見え972石余倉敷県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属同9年早島村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西分(近世)
江戸期~明治5年の村名美作国久米北条郡のうち倭文【しとり】川流域に位置する幕末期に錦織【にしこり】村が東分・西分に分村して成立したと思われる津山藩領村高は,「美作鏡」「旧高旧領」ともに錦織村西分395石余とあるなお,「美作鏡」では錦織村分郷と注記されている明治4年津山県を経て,北条県に所属同5年錦織村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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