ケータイ辞書JLogosロゴ 芳賀村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。津高郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。なお慶長6年6月5日の一品宮社務大守宛小早川秀秋寄進状に「津高郡芳加村之内百八拾石,並一宮敷地百石,神主屋敷弐拾石都合参百石」と見える(旧岡山市史2)。村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに768石余,「天保郷帳」862石余,「旧高旧領」852石余。「備陽記」によれば,岡山万町口まで道程2里8町,反別36町余,家数58・人数382,池14。枝村に下芳賀があり,岡山万口までの道程2里,反別17町余,家数37・人数245,池7。また麦蔵が置かれ,神社に主大明がある。切支丹禁制で長崎で処刑された26聖人の1人,ヤコブ喜左衛門は当地の出身という。明治4年岡山県に所属。同8年清水村を合併。同22年馬屋下村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418717
最終更新日:2009-03-01




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