ケータイ辞書JLogosロゴ 八塔寺村(近世)


岡山県>吉永町

江戸期〜明治8年の村名備前国和気郡のうち八塔寺山塊中標高350m前後の高原台地に位置する村名は,道鏡の創建と伝える著名な修験道場,照境山八塔寺に由来する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」147石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに192石余なお「備陽記」では,高147石余,反別17町2反余,家数37・人数177,枝村に城ケ畑・西畑があるまた化政期の和気郡手鑑(和気郡史)では,高147石余・又高45石余,このうち八塔寺領36石余,田7町6反余・畑7町1反余,家数50うち本村29・城ケ畑6・西畑15,人数205寺領を巡って,江戸初期から天台系と真言系の争いが続き,文政11年岡山藩の調停により,両宗で分割することとなった和気郡手鑑では,本尊領4石余,天台宗住寺常照院領11石,寺中の真言宗宝寿院領10石・同明王院領10石となっているなお神社は,本村と西畑に山王宮各1,城ケ畑に山神があった特産には茶・炭・灰がある明治4年岡山県に所属同8年加賀美村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418792
最終更新日:2009-03-01




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