ケータイ辞書JLogosロゴ 早島村(近世)


岡山県>早島町

 江戸期の村名。都宇郡のうち。宇喜多氏の支配を経て,慶長5年庭瀬藩領,寛永5年からは旗本戸川氏領。村高は,「備中至宝記」2,199石余で枝村に無津・塩津・市場・塩地・頓行【とよく】・長津・今弾(金弾【かんだ】の誤記か)・中帯江が記され,「天保郷帳」では古くは早島を注記する無津村・塩地村・塩津村・市場村・頓行村・長津村の6か村とあり1,903石余。寛永古図には戸川氏領として早島村2,199石余が見え,「備中至宝記」で枝村とされる8か村を含む地域を早島村と称したと考えられる。ただし「天保郷帳」では中帯江村・金弾村が各々早島を注記して別に記され,当村枝郷として前潟村も別記されている。枝村の塩津村については,文禄2年の年記を有する宮崎御崎神社棟札(倉敷市史6)に「塩津村安原田兵衛建」とある。慶長4年2月6日の宇喜多秀家黒印状(難波文書)によると,当地の100石が難波助右衛門尉に加増されている。同8年6月1日の銘を有する御幣串朱書銘(吉備津神社文書/県古文書集2)には備中一宮大明神の銀幣寄進の施主に「早島塩津村」の住人,安原田兵衛尉草壁朝臣知種の名が見え,同17年9月の吉備津宮御釜殿再建棟札写(同前)には建立檀那として「生国早島住人今者石州銀山居住」とある安原備中守草壁真人知種の名を記す。同19年と推定される11月20日の戸川肥後(達安)書状(佐藤家文書/県古文書集)の宛名には当村の無津・いちば・しほつ・長津の各々の地名を頭書した4名が記される。寺社には鶴崎神社・国鉾神社・城山稲荷神社・真言宗千光寺・同宗薬師院・同宗医王寺・日蓮宗妙法寺などがある。当地の名産は畳表で,寛永2年頃には,藺草と稲の二毛作が行われていた。宝永6年第3代領主戸川安貞の時,早島知行所の執務を行うための陣屋が完成したが,明治期以降取り壊され,現在は堀の一部と表門前の石橋を残す(町重文)。宝暦元年頃早島表が大坂の市場へ進出。江戸への販路は天保年間頃から開かれ,弘化2年には江戸直送(江戸積)を始めた。早島表の名は全国に知られ,藺草の栽培がさらに盛んになった。枝村はかつて当地が島であった小丘陵の周囲である。枝村の地名の由来は,無津・塩津・長津はまだ当地域が十分開拓されていなかったころ津があったことによるといわれ(都窪郡誌),無津は逆に海岸がなかったことによるという説がある(早島町の歴史と地名・高梁川37)。塩津・塩地の塩は潮の意で海岸を示すといい,頓行は丘陵を北へ越える峠道で,冬は北風の吹き通る所であったため疾行から転じたものと考えられる(同前)。市場は干拓後に魚市場があったためとする説と(都窪郡誌),同地の国鉾神社へ参拝する人が市を成したことによるという説がある(早島町史)。同社は延享元年塩地に移転,文化15年戸川安悌奉献の石灯籠(町重要文化財)がある。当村は江戸末期に,長津・頓行・塩地から成る西分と,市場・塩津・無津から成る東分とに分村。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7418864
最終更新日:2009-03-01




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