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- 東組(近世)とは
「東組(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 東組(近世) 江戸期~明治4年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治7年の組名備中国川上郡のうち東油野村を構成する2組の1つ組ごとに年貢免状などが発給され,実質的にはそれぞれが1つの村として機能した幕府領「備中村鑑」では「東油野村東西」とあり,高は一括して878石余「旧高旧領」では東組と西組に分け,東組の高は557石余倉敷県,深津県を経て,明治5年小田県に所属同7年東油野村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治5年の組名美作国西西条郡のうち竹田村が東組と西組に分かれて成立津山藩領「美作鏡」で「竹田村東組」と見え,高349石余「旧高旧領」は東組と西組を分けて記すものの,高は合計して691石余とある寺元村から越畑村へ通じる道が香々美川沿いに走る明治4年津山県を経て,北条県に所属同5年竹田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治9年の組名備中国都宇郡のうち上庄村が東組と西組に分かれて成立幕府領「備中村鑑」によれば,幕府領倉敷代官所支配分に上庄村342石余と上庄村601石余があり,「旧高旧領」はこのうち前者を「上荘村東組」と記す倉敷県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属同9年上東村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治7年の組名備中国阿賀郡のうち高梁【たかはし】川支流佐伏川流域に位置する天保年間に佐伏村が西組と当組に分村して成立幕府領高は,「備中村鑑」「旧高旧領」ともに「佐伏村東組」と見え562石余倉敷県,深津県を経て,明治5年小田県に所属同7年佐伏村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治7年の組名備中国川上郡のうち西油野村を構成する2組の1つ組ごとに年貢免状などが発給され,実質的にはそれぞれが1つの村として機能した幕府領高は「備中村鑑」「旧高旧領」ともに529石余倉敷県,深津県を経て,明治5年小田県に所属同7年西油野村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治7年の組名備中国阿賀郡のうち高梁【たかはし】川支流佐伏川右岸に位置する江戸末期までに草間村が西組と当組に分村して成立新見藩領高は,「旧高旧領」では「草間村東組」と見え820石余新見県,深津県を経て,明治5年小田県に所属同7年草間村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治7年の組名備中国川上郡のうち平川村を構成する6組の1つ各組には村役人が置かれ,実質的にはそれぞれが1つの村として機能した幕府領高は「備中村鑑」「旧高旧領」ともに531石余倉敷県,深津県を経て,明治5年小田県に所属同7年平川村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 東組(近世) 江戸期~明治9年の組名備中国都宇郡のうち足守川左岸,鼓山の南方に位置する幕末期に加茂村が東組・西組に分かれて成立旗本花房氏領「旧高旧領」では加茂村東組847石余と見える足守県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属同9年加茂村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」