福成(近代)
明治22年〜昭和52年の大字名。はじめ福浜村,昭和6年からは岡山市の大字。明治24年の戸数41,人口は男107・女111,船11。大正14年の世帯数31・人口214(男111・女103)。同年の職業別戸数は農業41・商業1・工業1・官公吏会社員1,雑業3(福浜村誌)。西隣の福田と当地区の南の海面3区,さらにその南の海面5区に大正2年から拘泥堤工事が行われ,昭和7年まで20年間継続して海底地盤の埋め立て促進が計られた。同25年3・5区の1,210ha干拓が完成した。これによって当地区は海岸から隔離され,漁業は消滅し,米・藺草生産を主とする農業地区となった。同46年機械工具卸商の団地協同組合によって岡山機工センターが設置され,続いて中国電力岡山電力所南岡山変電所が設置された。また昭和30年代後半から岡山市街地の住宅地として人口が急増。一部が,昭和38年三浜町1〜2丁目・千鳥町・浜松町となり,残余は,福成1〜3丁目・南輝1〜3丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7419304
最終更新日:2009-03-01