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藤森村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
藤森村(近世) 江戸期の村名出羽国河辺【かわべ】郡のうち秋田藩領「享保郡邑記」に藤森村を黒印村扱いとして掲げ,「改て平尾鳥【ひらおどり】村入加らる」と注記寛文10年に平尾鳥村の枝郷となったともいう(町史)「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに,郷形も図示しない黒印村としての実態は未詳18世紀から幕末まで枝郷扱いであり,戸数は4軒雄物【おもの】川支流の平尾鳥川上流部に位置する中世までは,東接の淀川【よどかわ】から平尾鳥を経由して岩見川に通ずる山道が頻繁に利用されたと伝えるが,羽州街道の整備後は廃れ,「人至ること稀なり」(秋田風土記)という薬師堂をまつる地名はクズ・フジの繁茂した状況によるかという(町史)現在は平尾鳥内の小字名に地名をとどめる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
藤森村(近世) 江戸期の村名但馬国出石【いずし】郡のうち円山川に注ぐ出石川支流太田川最上流域地名は,当地が昔藤のつるが地面をおおう林であったことにちなむといい,「古事記」には伊豆志乙女に春日のかすみ男という神が藤で作った布を贈って婚約を成立させた,その藤を採取した所であるという山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛,同年から前野長康が領した文禄4年からは出石藩領寛文13年奥藤森村・中藤森村・口藤森村の3か村に分村... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
藤森村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」