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岡山県>岡山市

 明治22年〜現在の大字名。昭和44年西大寺,同47年からは古都を冠称。はじめ古都村,昭和28年西大寺市,同44年からは岡山市の大字。明治24年の戸数154,人口は男373・女350,船5。米麦生産のほかに,明治末期から大正期にかけて果樹栽培が取り入れられ,昭和期にかけてナシ・ブドウを生産する農家が増大。昭和初期に都出荷組合(「都」に○印)が設立された。昭和16年東京の西野豊彦が都銅山を採掘,戦後は大宝鉱業が採掘権を継承。旭川・百間川の決壊による洪水被害も多く,明治25年・同26年のほか,昭和9年には床上浸水48戸・床下浸水13戸を数えた。昭和6年認定の県道福田西大寺停車線は戦後県道飯井宿線となる。昭和初期頃一部が兵団となったと思われる。世帯数・人口は,昭和45年135・577(男267・女310),同55年247・887(男420・女467)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7419725
最終更新日:2009-03-01




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