ケータイ辞書JLogosロゴ 南幸田村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国邑久【おく】郡のうち。岡山藩領。幸島新田の中央部が貞享4年の検地で幸田村と称され,元禄4年さらに北幸田村・南幸田村に分村して成立。宝永4年の幸島新田惣畝数高物成免斗代では,反別が田方72町5反余・畑方9町2反余,高1,523石余うち田方1,391石余・畑方132石余。「天保郷帳」では「幸島新田之内南幸田」とあり,1,551石余,「旧高旧領」1,752石余。万延元年の幸島新田調によると家数114,人数541うち男283・女258。用水は吉井川から取水した大用水を利用,地内西部から一番用水・二番用水が南流する。明和元年大雨のために排水不良となった邑久千町の百姓数百人が築渡に押し寄せ,古水門跡を切り崩す事件が起き,幸島新田側の注進により厳正な処分が申し渡されている(幸島新田古書類写記録)。幸島山に幸島新田総氏神の稲荷神社が鎮座する。宝永6年勧請を願い,土師村寄宮稲荷神を遷宮した。元治年間寺子屋寒露亭開設,弘化年間私塾幸島館開塾。和歌・紀行・音楽・囲碁など文芸諸般に長じた片岡春及は,当村の出身。明治4年岡山県に所属。同5年の学制施行により26番小学を設置。地租改正後,西片岡村飛地の玉島を編入。同22年幸島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7419740
最終更新日:2009-03-01




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