ケータイ辞書JLogosロゴ 宮地村(近世)


岡山県>英田町

江戸期〜明治5年の村名美作国英田【あいだ】郡のうち吉野川支流河会川上流域に位置する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,元禄10年幕府領,享保15年大坂城代土岐氏領,寛保2年からは上野沼田藩領村高は,「正保郷帳」43石余,「美作鬢鏡」「東作誌」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに51石余「東作誌」によれば,毛付高は田30石余・畑14石余・新田4斗余,家数10・人数37,神社は滝宮,堂は地蔵堂,長さ7間・幅4尺の土橋があり,井堰6,地内に滝宮の祭神天石門別神が当地に鎮座の時に案内した猟師の塚という猟師塚,高さ約4間余・幅4〜5間の十町の滝と呼ばれる滝や滝宮拝殿前の草槙の木といわれ伐採しようとして血が流れ出たと伝える古木がある明治4年沼田県を経て,北条県に所属同5年滝宮村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7419838
最終更新日:2009-03-01




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