ケータイ辞書JLogosロゴ 牟佐村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。赤坂郡のうち。古くは裳佐と書いた(吉備温故秘録)。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」950石余,「天保郷帳」1,132石余,「旧高旧領」1,112石余。また「備陽記」では,高950石余,反別56町5反余,家数145・人数916,高瀬舟20,枝村に大久保・地蔵谷・大堂谷がある。大久保は本村から2kmほど川上の左岸河岸段丘上に位置し,藩の牧狩り場であった。菅原道真が立ち寄ったという伝説の残る天満宮がある。地蔵谷は竜の口八幡宮の登山口にある集落で,旭川の旧河道に当たる。高さ30mほどの岩塊があり,頂上に乳を授けるといわれる地蔵尊(石仏)があり,乳の出ない婦人の参詣が多かった。大堂谷は大戸とも書き,本村から北に入った谷間の集落で,大戸の滝がある。日蓮宗徒の隠れ里と伝えられる。対岸の河本村の平瀬に旭川の高瀬舟改めの船番所があり,当村へ歩いてきて船番をしていたが,川の流れが変わり不便になったため,天明年間当村へ船番所を移した(吉備温故秘録)。河本村宮本へ渡しがあり,周匝【すさい】往来を結んだ。享保初年対岸の宮本へ長さ340間(約612m)の堰堤が築かれ,菅掛の井手と称した。明治4年岡山県に所属。同22年西高月村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7419887
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ