ケータイ辞書JLogosロゴ 矢田郷(中世)


岡山県>哲西町

 室町期に見える郷名。備中国哲多郡のうち。応永元年の記録を文禄5年に書写したという吉備津宮惣解文(吉備津神社文書/県古文書集2)に哲多郡6郷の1つとして「矢田郷 綾綿糸少々」と見える。なお,応永14年12月9日に足利義満が備中国浅口郡などとともに「同(備中)国矢田郷」を細川満国に宛行っているが(細川文書),この「矢田郷」は現在の吉備町箭田にあたると考えられる。永享元年12月2日書写の奥書を有する備中国惣社宮造営帳写(池上家文書)によれば,「矢田郷」には国衙領として棟別銭が1間につき20文課せられていた。下って,永禄元年6月23日に新見貞経が藤原大夫丸に譲った所領のなかに「備中国新見庄地頭職・同領家職并曽尒分・岡分・八田分」が見え,年月日未詳の備中国新見荘等手日記にも「一,のへ・やた 千四百貫」,同じく備中国新見荘地頭領家年貢目録にも「拾八貫 八田分」と見える(竹田家文書)。下って永和元年に大嘗会があり,備中国が主基国を勤めたが,この年の9月2日に備中守に宛てられた藤原仲光奉書案(宮内庁書陵部蔵仲光卿大祀御教書)に,「当国八田有漢両郷井原」とみえ,抜穂使供給用途を来月10日以前に沙汰するよう命じられている。この八田は当地とも考えられる。なお,備中高松講和後の天正19年9月25日に,毛利氏は「備中鉄田郡内」の「矢田村」の800石を福頼左衛門尉に打ち渡している(萩藩閥閲録)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420027
最終更新日:2009-03-01




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