ケータイ辞書JLogosロゴ 養野村(近世)


岡山県>奥津町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国西西条郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,享保11年幕府領,文化9年再び津山藩領,天保9年からは幕府領となり津山藩預り地。村高は,「作陽誌」179石余うち田117石余・畑62石,「美作鬢鏡」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに233石余。「作陽誌」では東西1里・南北20町,家数48・人数264(男140・女124)。「森家先代実録」によれば,元禄5年には百乢に茶屋が置かれ米3斗が支給されている。地内には鉄滓・炉壁片の散布や鉄穴流し跡が多く見られ,江戸期を中心にたたら製鉄が盛んに行われていた。当村から福見経由で奥津へ通じる道や百乢を越えて鏡野へ通じる道は,吉井川に沿う道路の開通に伴い衰退した。倉敷県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。同22年泉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420242
最終更新日:2009-03-01




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