ケータイ辞書JLogosロゴ 吉永中(近代)


岡山県>吉永町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ英保村,昭和23年10月英保町,同年11月からは吉永町の大字。英保村の役場・学校が置かれ,村の行政・文教の中心地となる。明治24年の戸数62,人口は男150・女144,学校1・水車場1。同36年の戸数78・人口331。世帯数・人口は,昭和38年262・1,098,同48年291・1,091,同58年332・1,190。明治24年山陽鉄道(現JR山陽本線)が開通し吉永駅が設置された。同41年吉永郵便局が再び開局した。永保小学は明治22年尋常永保小学校,同26年永保尋常小学校,同40年高等科付設,昭和16年永保国民学校,同22年永保小学校,同24年吉永小学校と変遷した。明治40年設立の永保女子実業補習学校と大正14年設立の男子実業英保村青年訓練所は,昭和10年合併して英保村青年学校となった。昭和23年開設の英保中学校は,翌24年吉永中学校と改称。大正元年の米の生産高675石(英保村報)。大正4年東備耐火煉瓦製造所,同10年柏木クレー製造所,昭和初年武元クレー製造所,同15年和気クレー製造所・藤原京クレー商店が開業した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420328
最終更新日:2009-03-01




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