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「六軒町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

六軒町(近世)


江戸期~明治11年の町名江戸期は岡山城下の1町,武家地城下の南部,外堀の外に位置する南は瓦町,東は武家地八軒町古くは,西側に2軒,東側に4軒と,合わせて6軒の侍...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7420415]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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六軒町(近世)

江戸期~明治7年の町名敦賀町の1町川向6町の1つで,川向御所辻子町の南,新町の北に位置する西は天神宮,東は泉【しみず】村六間町とも記す「疋田記」は慶長10年頃川中の上島寺町から当町および丁持町枝町三ツ屋に遊女が移ったといい,「敦賀志」は青楼がはじめ6軒あったことから町名が起こったとする六軒町・新町・三ツ屋・森屋敷を花街4町と呼ぶ天和2年の「遠目鏡」によると,当町に轡屋(置屋)7軒,上女郎21人・下女郎38人と見えるまた,延宝6年の「色道大鑑」には「越前国敦賀 号六軒町 敦賀の遊郭は六軒町といふ,挙屋の居る所をみつや(三ツ屋)と云ふ,傾国の遊料十六匁,次は十匁宛なり,端女は六匁宛」と記すなお,敦賀町の公娼制も他の都市と同様18世紀中頃には弛緩していった寺院は禅宗永賞寺末豊隆寺がある同寺は寛文4年に永賞寺4世白外和尚が安孫子宅春の宅地に隠居寺を建てたことに始まる豊隆は宅春の法名で,彼を開基とする(敦賀志)家数は,寛文3年24うち家持18・借屋4・寺2(寛文雑記),享保11年24(指掌録),「敦賀県管轄区分表」では43明治7年常盤町の一部となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期~明治7年の町名江戸期は府中町,明治2年からは武生【たけふ】町の1町北陸街道の東部,北府中【きたご】町・月貫町・横町の東隣に位置する寛永2年の浅井家記録(浅井家文書)には町名が見えず,まだ北府村の一部であったと思われる正徳元年の府中総絵図に六軒町の町名があらわれ,安永3年には府中町外12町のうちに六軒町80軒とある(前田家文書)嘉永4年の府中全町家順記では,六軒町通南側27軒,同北側20軒,六軒町本興寺裏22軒,六軒町裏辻子7軒とあり,その名が記されているなお「名蹟考」では,町内に善徳院報恩寺・不動堂があると記される明治7年の戸数103(南条郡誌)同年浪花町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期~明治元年の町名伏見町のうち地方付27町の1つ三栖六軒町ともいう阿波橋通に沿い,旧高瀬川にかかる弥左衛門小橋西詰に位置する豊公伏見城ノ図では,阿波橋通の北側に東から木下肥後守・山中山城守・猪子内匠の各屋敷地が並び南側は空地になっている武家屋敷が廃絶してから人家ができて町名がつくが,寛文10年山城国伏見街衢並近郊図には,両側に民家7軒が描かれ,「七軒町」と記している「伏見鑑」は「六軒町」と記し,「泰平俯見御役鑑」は「三栖六軒町」と記す明治元年三栖村に編入...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期~明治9年の町名江戸期は名古屋城下の武家町の1つ名古屋村のうち名古屋城本丸の北西に位置する町名は,はじめ民家が6軒あったことに由来する(尾張志)また,「六軒町・五平蔵町あたりは,北の方田野に近き所なれば,今農屋数戸あり」ともいう(名古屋府城志)西は泥町,東は天神ノ町,南は仲ノ町にあたる(尾府全図)明治9年泥町の一部となる(名古屋市史)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期の町名名古屋城下町続きの1町堀川右岸に位置する水車町筋の南側にあたる地名は,もと堀川対岸の御蔵前にあった6軒の日雇いの住人を,元禄6年当地の借屋に移したことに由来する(名古屋市史)広井村の地内であったが,住人は納屋町の支配に属した(尾張志)旧地にあった井戸は,移住後も当町の管理下にあったのち水主【かこ】町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期~明治初年の町名江戸期は新見のうちの1町武家地六軒丁とも書く新見の北東部に位置する地名の由来は,藩の軽輩の六軒長屋があったことによる元禄10年新見藩成立後に形成され,小者・仲間・足軽などが居住した明治初年新見村の一部となるなお,明治期~大正期にかけて地内に宮地町と呼ばれる地が形成されている...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期の府内城下の町名所属町組は不詳府内町の南東の隈にあり,北は舟入深川をはさんで塩九升【しよくじよう】町,南は東新町,東は来迎寺道,西は東新町に接する立地条件からみて東新町に属すものと考えられる文亀4年開基と伝える西山浄土宗尋声山専修院来迎寺がある...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期~明治7年の町名丸岡町の1町丸岡城のある丘陵椀子【まりこ】岡の北東,外堀の外に位置する武家屋敷地「名蹟考」や天保7年の城下絵図に町名が見える明治5年の調べでは,戸数16・人口84,全て士族となっている同7年霞町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期の不動院門前の俗称地名不動院が拝領する以前から百姓商売家があり,家数が6軒あったので,六軒町と唱えたと思われるのち門前町屋となった(町方書上)現行の六本木3丁目15番7~10号・6番6~12号あたり...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

六軒町(近世)
江戸期~明治7年の町名福井城下のうち城下東部武家地の1町明治7年町名改正時の戸数6同年日ノ出中町の一部となる...

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