ケータイ辞書JLogosロゴ 阿賀村(近世)


広島県>呉市

 江戸期〜明治22年の村名。賀茂郡のうち。広島藩領。枝郷に大入・蕪崎がある。村高は,元和5年「知行帳」880石余,「芸藩通志」889石余,「天保郷帳」も889石余,「旧高旧領」985石余。「芸藩通志」では畝数82町余,阿賀村小倉新開26町余がある。「国郡志書出帳」によれば,戸数967,蔵60・納屋28,人数4,979うち百姓家族2,805・浮過家族1,174など,馬2・牛248,船141。商品作物は楮・綿・櫨・煙草・麻苧など,浮過のうち150〜160軒は小商いしたり,日雇船頭・加子に雇われたりした。村内には長さ6町余・横1町余,戸数412(百姓・商売73,寺1・医師2・職人5・漁師119・浮過212)が集まる町があった。網屋5軒は近村ですきだされた網を買い集め,所々へ売りさばいた。魚問屋2軒は仲買人となり沖合いでとれた魚を集め,毎夜交互に市を立てた。村内には船大工3軒がいた。海上8kmには情島があり,承応3年より藩の牧場となり馬が放牧された。鎮守八幡社の棟札には永正年間源盛勝建立とある。西光寺はもと天台宗浄正寺と称したが,寛永6年真宗に改宗と伝える。そのほか宝徳寺と道場1か所がある。当地は厳島社管絃祭の引船を出すのを恒例とするが,その由来は,元禄年間に当村と江波村の漁船が暴風雨で遭難の管絃祭本船を救出したことによると伝える(江波村では異なった伝承が残る)。明治4年広島県に所属。同7年弘裕館(阿賀小学校の前身)創立。同18年の戸数1,679・人口7,763。同22年市制町村制施行による阿賀村となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420489
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ