ケータイ辞書JLogosロゴ 明石方村(近世)


広島県>木江町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国豊田郡のうち。広島藩領。寛永15年地詰により成立。村高は,元和5年「知行帳」では大崎島2,656石余のうち,「芸藩通志」「旧高旧領」ともに207石余。寛永15年地詰では畝数17町余(分米182石余)うち塩田6反余。「芸藩通志」によれば,畝数22町余(分米207石余),戸数228・人数1,099,船58,牛58。享和元年槙肌を導入。幕末から明治年間廻船業が発展したので,大船から小船・漁船・農耕船などの利用が多かった。文政2年の記録では琉球芋を収穫している。甘藷が飢饉対策用として植えられ,このために山が開かれ段々畑がふえ,甘藷の肥料として海の藻刈りも始まっている。明治4年広島県に所属。同6年松浦道場を借り貫穿舎を設置,同9年明石方小学校となる。同21年の戸数369・人口1,858。同22年大崎南村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420498
最終更新日:2009-03-01




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