ケータイ辞書JLogosロゴ 秋山村(中世)


広島県>広島市

 南北朝期〜戦国期に見える村名。安芸国高田郡三田郷のうち。観応3年11月8日,足利直冬の将である今川頼貞が,武田氏信の攻める安芸坂城の毛利親衡を救出しようとして,氏信と戦い,これを打ち破った。その際,吉川経兼が今川頼貞へ提出した軍忠状のなかに,武田氏信の陣取った場所として「三田馳(秋カ)山」の名が見える(吉川家文書)。また,文正元年の秋山八幡神社新宮社殿造立棟札に「秋山村長右門之丞」の名が記されている。天正16年9月,毛利輝元は方広寺大仏殿造立のため「芸州井原・秋山」の材木の切出しを命じている(閥閲録149)。慶長6年11月7日の福島正則知行方目録によれば「あき たかたの郡 あき山村」のうち「高百五十石 物成八拾七石」が中山善九郎に宛行われている(富永文書/静岡県史料4)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420520
最終更新日:2009-03-01




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